カルト映画としての「めめめのくらげ」村上隆x東浩紀 感想

藝ぽちブログ継続して見ている人はいないと思いますが形として。
おひさしぶりぶりブリジット・バルドー。や、間違えた。
おひさしぶりぶりブリトニー・スピアーズ

ところでゲンロンカフェの「カルト映画としての「めめめのくらげ」」村上隆x東浩紀対談に行ってきたのでご報告。

この報告をブログにするのに随分手間取りました。批判するところもあるし、そうでないところもあるし、ツイ禁事項ですもあるし・・・めんどくさいし、めんどくさいし。

対談の感じは↓で。
ゲンロンカフェに村上隆さんがやって来た。 - Togetter

で批判する麺としては、クソ、なんか「面」が「麺」に変換されるぞ。いやそれはともかく、批判する麺としては、おいっ。

批判するところとしては、対談構成がよろしくなかった部分。それは2時間のイベントなのに、1時間ほどで両者がまだ1時間しかたってないの?てところに表れていて、その後もそういったあれのそれで皆で苦笑というのが幾度となく。
途中、あずまんが厠で席を外したときに、村上さんが2、3質問して客席が手を挙げるというのがあったのだがとても良かった。今回は客が100人近くいたし、明らかにゲンロンクラスタとは違うクラスタの集まりだったので、ホスト側のあずまんがあれを対談構成の中に入れておけばと勝手に悔やんでおります。

とは言え、めめめのくらげのカルト版予告編世界初上映の盛り上がりは半端無かったし、あずまんの”村上隆五百羅漢図(まで)とめめめのくらげの相違点”の指摘と、村上さんのそれに対する組織論を串刺した返答は、作家の中心性(弱い部分)という話にも迫る重厚なトークでした。(村上さんは今までもそういったことを@takashipomでツイートしているので再確認の度合いは高いが、より納得感があった。)

藝ぽちは今回の対談と、この前に行った東浩紀「『一般意志2.0』とその後」第4回の講義とを合わせて、

-『作品』と『物性』-
「解釈可能な言葉でなく、物の物度でない物性」と、「戦略的コンテクスト・オーガニゼーション・マネジメントの果てにある作品」との同一性。またその場に立ってさえなお現れる、その場に立ってこそ現れる、取り扱い切ることのできない『作品』。『物性』。

と、まとめてみました。


ほな。